聞きしに勝る

読んだ本とかについて

ウナギが故郷に帰るとき

なんでこの本を手に取って読もうと思ったのか、自分でもよくわかりませんが、よくよく考えると、僕はウナギのことばかり考えて今日まで生きてきたという気がするのです。無知な僕でも、ウナギがどこからやってくるのかわからなくてヤケクソになったアリストテレスが「ウナギは泥から生まれる」と宣言したことは知っていますし、小学校三、四年生くらいの国語の教科書に「ウナギはどこで生まれるのか」を追った説明文が掲載されていたという記憶は、まだ保持しています(僕の小学校時代、というか幼年期にわたる記憶はかなり曖昧なので、まだ覚えているというだけでも相当のインパクトがあった、ということです。ネタバレになりますが、ニホンウナギの故郷はマリアナ海溝です)。そして何より、僕が日本人として生まれ育ってきたということ、これが一番大きいと思います。ウナギではなく、鰻と漢字で書くと、それだけで食欲が湧いてきますよ、僕の場合。しかし、こんなふうにウナギが僕の人生の重要なテーマだった、と考えるに至った一番大きな理由は、この本を読んだことによってウナギをめぐる思考回路が活性化され、本書のように万物にウナギとのリンクを見つけ出すように洗脳されてしまったからでしょう。

日本語の題名は上記の通りですが、文庫カバーに記載されている英語のタイトルはthe gospel of eels。ウナギ讃歌、とでも言うのでしょうか。英語gospelは日本語のゴスペルとは違って福音という意味があり、こうなると俄然キリスト教的色彩が強くなってきますが、実際本書の中にも聖書の言葉が引用されているのです。と、これでもうウナギとキリスト教というなかなか想像できないリンクが形成されました。こんな具合で、本書は「それウナギと関係あったんだ」を連発しながら進んでいきます。あなたはフロイトとウナギのつながりを知っていましたか。知らなかったというのならあなたが本書を読む価値はおおいにあることでしょう。

そして、今この文章を読んでいるあなたとの間にも、著者が開陳する各界著名人とのつながりにも負けないウナギとのリンクは存在するのです。嘘ではない。著者による見事な例が本書で示されています。ウナギの謎をめぐる各界著名人の奮闘と、著者自身でしょう「ぼく」とウナギの人生の時間を通じての関わりが交互に現れる形で本書は構成されているのです。こんなに周到にやられては、全ての道はウナギに通ず、ウナギ脳状態に陥ってしまっても、無理なからぬ話でありましょう。ウナギを中心に森羅万象が記述される鰻曼荼羅が、僕の心を占拠している。

ここで思ったのですが、それが扱うテーマを人生の一大事だと読者に錯覚させる力を持つということが、優れた本の最も重要な条件ではないですか。

サルガッソー海はこの世の終わりであり、しかしすべての始まりの場所でもある。これは大きな意味をもつ啓示だ。八月の終わりの夕暮れに、僕と父が釣り上げたあの淡黄色のウナギも、かつては柳の葉のような姿をしていたことがあって、僕には想像もつかない、おとぎ話の世界のような見知らぬ場所から、七千キロもの距離を漂流してきたのだ。釣り上げた黄ウナギをつかんでその目をのぞきこもうとしたとき、僕は既知の世界の向こうにある何かに近づいていた。それが、人がウナギの謎に魅了される理由だ。今やウナギの謎は、あらゆる人が心の内に抱えている疑問を思い出させるものとなった。自分は誰なのか? どこから来て、どこへ向かうのか? という問いを。

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